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体操着は、衣装ではなかった。
制服と同じで、学校という場所に実在した日常着だ。だから刺さり方が、コスプレとは根本的に違う。今回は体操着、特にブルマという失われた文化について、全部書く。
ブルマは絶滅した。だから育ち続けている
昭和から平成の初めまで、紺のブルマは現実に存在した。体育の授業に、運動会に、当たり前にあった。
そして消えた。今の学校にブルマはない。現実のどこを探しても、もう存在しない。
ここが重要だと思っている。実在した時代を知っている世代にとって、ブルマは「記憶」だ。現実に補給がないから、記憶の中でだけ熟成され続けている。実物を知らない世代にとっては「伝説」で、これはこれで刺さる。絶滅したものだけが持つ強さがある。
はみ出る尻の肉の話
ブルマの布は、圧倒的に少ない。
走る。座る。屈伸する。そのたびに裾から尻の肉がはみ出す。本人は指でくいっと直す。またはみ出す。また直す。
あの「はみ出す、直す」の繰り返しが、ブルマの核心だと思う。布と肉の境界線が動き続ける。下着より際どい面積なのに、体育の授業という一番健全な場所にあった。この矛盾が、何十年経っても頭から消えない理由だ。
紺色を汚したい、という衝動について
ブルマの紺は、規律の色だ。学校指定の、清潔で、真面目な色。
その紺を白く汚したい、という衝動がある。これは単なる射精願望ではなくて、「汚してはいけないものを汚す」ことへの欲望だと思っている。紺と白のコントラスト。規律と背徳のコントラスト。色の組み合わせとして、これ以上のものを私は知らない。
作品でも「体操着に発射」はひとつのジャンルとして確立している。あれを求めているのは私だけではない、ということだ。
匂いの話
体操服をかぎたい、という欲望も書いておく。
洗剤の匂いと汗の匂いが混ざった、あの独特の匂い。体育倉庫や部室の空気。嗅覚は五感の中で一番記憶に直結すると言われるが、体操着はまさにそれで、匂いの記憶とセットで保存されている。
だから作品でも、匂いを嗅ぐ描写があるものは強い。画面から匂いはしないのに、記憶が勝手に補完してくる。
布として使う、という話
そして、体操着でしごきたい・オナニーのお供にしたい、という使い方の欲望。
これは体操着が「柔らかい布」であることと無関係ではない。ジャージ素材の、あの肌ざわり。視覚だけでなく触覚の対象になる衣類は、実はそんなに多くない。体操着はその筆頭だと思う。
作品選びでも、体操着を脱がせて終わりのものより、着せたまま・布を使うことに意味を見出しているものの方が、わかっている感がある。
いまの作品で体操着はどうなっているか
現実から消えた結果、AVの中のブルマは「コスプレ」になった。
ここで差が出る。衣装として派手に見せる作品と、日常着として自然に撮る作品。刺さるのは圧倒的に後者だ。あの頃の教室や体育館の空気ごと再現しようとしている作品を選びたい。
体操着ものを選ぶときの私の基準は一つ。「衣装感が薄いこと」。これに尽きる。


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