※アフィリエイトリンクを含みます
前置きとして、私は昭和の人間だという話
生まれたのは昭和の終わりの方だから、ぎりぎり平成を知っている世代だと思っています。バブルの記憶はないけれど、バブルを引きずっている大人たちの中で育ったし、ギャル文化が爆発した時代を十代から二十代のちょうどいいタイミングで通り過ぎました。
当時のことを思い出すと、街が今より騒がしかった気がします。渋谷のセンター街を歩けば必ずギャルがいて、駅のホームにも、ファミレスにも、コンビニにも、とにかくどこにでもいました。あの時代は「ギャル」というジャンルが日常に混じり込んでいて、特別なものでも、珍しいものでもありませんでした。
今の街にはあの頃のギャルはいません。いるにはいるけれど、あの時代のギャルとは何かが違います。熱量が違うのかもしれません。あるいは私が年を取っただけかもしれません。どちらにしても、平成のギャルは私の中で特別な場所に収まっています。
この記事は、そういう人間が書いているということを最初に伝えておきたいと思います。
平成のギャルが最強だった、という話
ギャルにはいくつかの時代がありました。ガングロが流行った時代、外見の派手さが競われていた時代、ヤマンバが登場した時代、ゼロ年代に入って白ギャルが台頭してきた時代。細かく分ければいくらでも分けられますが、大雑把に言えば「黒ギャルの時代」と「白ギャルの時代」があったと思っています。
どちらの時代にもそれぞれの良さがありました。流行が黒から白に移ったとき、「ギャルが死んだ」と言う人がいたし、「いや白ギャルの方がかわいい」と言う人もいました。当時の私はその議論をそれほど真剣に聞いていませんでしたが、時間が経った今になって、両方の良さがそれぞれ別のものだったと感じています。
そしてどちらにも共通していることがありました。それが太ももです。
黒ギャルの太ももについて
黒ギャルのミニスカートの下に見える太ももには、独特の迫力があります。
焼いた肌の色は均一ではなくて、ムラがあります。完璧に仕上げられた美術品みたいな肌ではなくて、どこか荒削りな感じがします。その荒削りさが生々しくて、私にはたまりませんでした。
ミニスカートの裾と膝上ソックスの間の、わずかに露出した太ももの部分があります。世間で言うところの「絶対領域」と呼ばれるあの部分です。黒ギャルの場合、そこだけが素肌の色で、スカートより上とソックスより下とで挟まれています。面積で言えば大したことはないのに、なぜかそこに視線が引き寄せられます。
理由を考えたことがあります。おそらく「見えることが許されている場所」と「そうでない場所」の境界線が、あの部分に集約されているからだと思います。スカートの向こう側には何があるのかわかりません。ソックスより下は脚として処理されています。その中間地点にある太ももは、どちらでもない場所として存在しています。だから目が止まります。
それと、黒ギャルには気の強さがあります。表情にも、歩き方にも、話し方にも、簡単には近づかせないという空気があります。それが実際の行為の場面でどうなるかということを想像すると、落差があります。気の強い人間が力を抜く瞬間というのは、普通の人間が力を抜く瞬間よりずっと大きく見えます。そのギャップが、黒ギャルの魅力の核心だと私は思っています。
白ギャルの太ももについて
白ギャルの話になると、まったく別の感情が動きます。
黒ギャルが「迫力」なら、白ギャルは「透明感」でした。肌の白さが光を受けてわずかに透けて見えるような感じ、日焼けをしていない肌特有のきめの細かさ、そういうものが白ギャルにはありました。
そして白ギャルを語るときに外せないのが、色の話です。
肌が白いということは、その白さを背景にして他の色がより鮮明に見えます。特に、乳首や、体の中でも敏感な部分の色が、白い肌の上ではっきりと映えます。ピンクがピンクとして見える、というとわかりにくいかもしれませんが、黒ギャルには出せない色のコントラストが白ギャルにはあります。
私がこれに気づいたのはわりと遅くて、白ギャルに対してあまり関心を持っていなかった頃のことを少し後悔しています。当時は黒ギャル一択だと思っていたから、白ギャルが持っている別の良さを見落としていました。
白ギャルは、近づきやすい印象があります。黒ギャルの持つ一定の距離感と比べると、白ギャルの方がやわらかい雰囲気があります。そのやわらかさが、肌の色や質感と重なって、全体として「触れたい」という感情を引き出してきます。
肉付きについて
黒ギャルであれ白ギャルであれ、私が重要だと思っているのは肉付きです。
痩せていることが美しいという価値観は理解できるし、細い体が好きな人がいることも知っています。ただ私に関して言えば、ある程度の肉付きがないとどうも物足りません。
太ももで言えば、まっすぐな棒のような太ももではなくて、内側に向かって緩やかに張り出している太ももが好きです。立っているときと座っているときで形が変わる太ももが好きです。座ったときにスカートの下で少し広がる感じ、歩いているときにミニスカートの裾を押し上げる感じ、そういう動きのある肉付きが好きです。
健康的という言葉を使うとすれば、肉が本来あるべき場所にある体のことを指していると思います。無理に絞り込んだ体ではなくて、自然にそこにある体。黒ギャルの焼けた太ももも、白ギャルの白い太ももも、肉付きがよければそれぞれの良さがより際立ちます。
結局、ギャルは最強だったという話に戻る
平成のギャルが最強だったというのは、個人的な懐古趣味ではないと思っています。あの時代のギャルには、自分の外見に対して主体的だという感じがありました。どんな見た目にするかを自分で決めて、それを全力でやっている感じ。その主体性が、見ている側に伝わってきました。
黒にするか白にするか、どちらを選ぶにしても、そこには何かしらの意志がありました。今の時代にも魅力的な人はたくさんいますが、あの頃のギャルが持っていた「これが私だ」という感じは、なかなか見当たりません。
太ももの話をしているつもりが、気づけばそういう話になっています。結局のところ、ギャルの太ももが好きなのか、ギャルという存在が好きなのか、私自身もよくわからなくなってきました。
どちらにしても、黒ギャルのミニスカートの絶対領域と、白ギャルのピンクは、私の中に今もはっきりと存在しています。
ギャル×太もも関連記事
月額で好きなだけ見るなら
見放題ch スタンダード
月額3,980円


コメント