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「大事にされたい」と「ただ使われたい」は、たぶん両方本気だ。年を取ってから、そのことがよく分かるようになった。
①「大事にされる」ことに、疲れる夜もある
いつも名前で呼ばれて、気遣われて、機嫌を聞かれて。それ自体はありがたいことなんだけど、たまにそれ全部が面倒になる夜がある。相手の顔色を読まなくていい、感想を聞かれなくていい、ただ体だけを差し出せばいい。「オナペット」という言葉の乱暴さは、その面倒くささを全部取り払ってくれる気がする。
②呼び方を手放すと、役割が軽くなる
「彼女」でも「奥さん」でもなく「ペット」と呼ばれる。それは扱いが軽くなることのはずなのに、なぜか本人にとっては楽になる場合がある。関係の重さを引き受けなくていい。都合よく扱われることを、自分から選んでいるだけだから。
③血縁や関係の中にある「オナペット」――寝取られ・近親という背徳
「俺の嫁は寝取られ中出しオナペット」のように、既に誰かのものである人が別の男の「オナペット」になる。「兄は私のオナペット」のように、本来守られるはずの関係の中でその役割が反転する。どちらも、決まっているはずの立場が壊れることそのものが興奮になっている。オナペットという言葉は、単体のジャンルというより、いろんな背徳の「着地点」として機能している気がする。
④VRの「僕専用」も、実は同じ欲望の柔らかい版
一方で、VRの「僕専用」「愛と勇気と性欲を与えてくれる」系のタイトルは、同じ欲望のかなり優しい言い換えだと思う。乱暴に「使う」代わりに、「自分だけのもの」として大事に扱う。方向は真逆に見えて、根っこは同じ——都合のいい相手を、自分だけの手元に置いておきたいという欲望だ。
⑤名前を手放すことは、責任も一緒に手放すこと
「オナペット」と呼ぶことも呼ばれることも、本当は誰も本気にしていない。呼んでいるあいだだけ、名前についてくる責任や気遣いを両方が下ろしている。だからこそ後腐れなく興奮できるんだと思う。今日はそのつもりで、少し覗いてみてほしい。


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